宮崎の草木と人と(4)
フロラの構成メンバーたち
−自然植物誌的観点から−
南谷 忠志
(宮崎県立宮崎西高等学校教諭)

4.宮崎の保護すべき植物たち

その1. 宮崎の滅びゆく植物

 (財)日本自然保護協会と、(財)世界自然保護基金日本委員会はさる昭和61年、世界自然保護基金(WWF)のプランツキャンペーン(植物保護計画)に呼応して、「我が国における保護上重要な植物種および植物群落の研究委員会(レッドデータブック委員会)」を設け、研究を行ってきた。委員会には、植物種と植物群落の2つの分科会が置かれている。
 このうち、植物のひとつひとつの種についての調査を行ってきた植物種分科会(座長・東京大学教授岩槻邦男博士)はアンケート調査・ヒアリング調査・現地調査の結果をまとめ、最近、「我が国における保護上重要な植物種の現状(通称:レッドデータブック)」を公表した。
 その結果、日本の野生植物のうち、「絶滅種」が35種、「絶滅危惧種(絶滅寸前)」が147種、「危急種(危険)」が677種、「現状不明」が36種にのぼることが明らかになった。これらの合計は895種におよび、日本の野生植物(シダ・種子植物)5,322種の約17%に相当している。(表1)

表1 絶滅種・絶滅危惧種・危急種の分類別内訳(1989年レッドデータブック)

  シダ
植物
裸子
植物
合弁
花類
離弁
花類
単子葉類 合 計
ラン科
以 外
ラン科
絶滅種    種数 10 0 5 10 4 6 35
絶滅寸前種 種数 11 0 41 41 14 40 147
危急種    種数 74 4 138 190 177 94 677
現状不明種 種数 6 0 4 3 19 4 36
合   計 101 4 188 244 214 144 895

 このことは、日本の野生植物の6種に1種が絶滅の心配があり、緊急に対策を必要とする保護上重要な種とされるということである。なんと、日本列島に生育していた野生種の6種に1種が消え去ろうとしているのである。私達を取り巻く自然は、そこまで深く病んでいるのである。
 筆者は、このレッドデータブック委員会の調査協力者として参画し、宮崎県の植物の検討をした。その結果、宮崎県には「絶滅種(地球上から姿を消す植物)」が3種、「絶滅危惧種」が22種、「危急種」が122種、「現状不明種」が12種となる。合計すると135種となり、これは宮崎県産の野生植物2254種の約6%に相当する。
 全国の17%と宮崎県の6%という数字だけの単純比較から、宮崎県の自然はまだ安全だ、というふうに読み取るのは間違いである。日本の絶滅の心配される植物リストには、琉球や小笠原などの狭い地域にのみ産する特殊植物が多く含まれているために895種に上っている。それらを除き、日本に広く分布する種でみる限り、宮崎県も同じ状況にあると言えよう(図1:サクラソウ)。
図1-(イ) サクラソウの生育地の現状

図1-(ロ) サクラソウの生育地の現状

 また、895種のリストに入ってないものの中にも、九州レベルで評価して、極めて重要でかつ絶滅の心配される種が宮崎県産の野生植物の中にさらに138種もある。従って、先の135種と加えると、273種に上り、これは宮崎県産野生植物2254種の12%を超えている。つまり、宮崎県も1割以上の植物が危ないのである。
 以上の植物の中から、まず、いくつかの種をとりあげ、それらの植物の存在が危険に至ったいきさつと原因に触れ、さらに、保護の施策についての私見を述べてみたい。

(1) 地球上から消えた宮崎の植物たち〜絶滅種

 地球上から姿を消した「絶滅種」(有り得ないことと思うが、ひょっとすると、どこかで再発見されることもあり、正確には「絶滅種」と断言できないが)は、前述したように、日本には35種がある。この中にヒュウガホシクサ、ヒゲナガトンボ、ヒュウガトンボの3種がある。これらは宮崎県特産(固有種)であり、宮崎県から姿を消すということは、地球上から永久に消え去るということである。
 これに類するものに、ヒュウガシケシダとヒュウガオオクジャクがあり、合計すると5種が絶滅ということになる。恐ろしく、また残念なことであるが、日本の絶滅種の1割以上が宮崎県で消えたということである。

 [ヒュウガホシクサ]〜ホシクサ科〜
 国立川南療養所(現国立宮崎病院)に療養中の野村剛氏によって1952年10月5日に同病院北側の湿原(現在国指定天然記念物)で採集され、1954年に学会で発表され世に出た。
 その後は、1956年9月1日、著名な植物採集家である富樫誠氏により川南(同所と思われる)及び高鍋町鬼ケ久保で採集され、また、1958年10月22日に元鹿児島大学教授初島住彦博士も川南(同所と思われる)で採集している。その他の採集報告は見ていない。筆者は1972年代に入り、本格的に植物の調査・採集を始め、同所の調査もしたが確認できず、さらに、1982年からは地元の高鍋高校に勤め、機会あるごとに同所は勿論のこと都農・川南・木城・新富・西都方面の湿原を探索してきたが確認できていない。
 1958年を境に確認できないということは残念ながら「絶滅」と判断せざるを得ない。本種は1年生植物であり、毎年種子で世代をつないできたのであるが、その種子が何処かの湿原で温存され、再発芽することを願っている。
 絶滅の原因は湿原の乾燥化と富栄養化が考えられる。高鍋・川南の湿原を流れる水は蒸留水に近い程の貧栄養状態にあり、田畑の雑草は侵入できず、独特の湿原植物が生育してきた。ヒュウガホシクサもその一つである。ところが、周囲に植林のため溝を掘り、地下水が低くなって乾燥化したり、また、周囲に人家が増え、家庭排水が流れ込んで富栄養化すると、田畑の雑草が侵入し始めることになる。元来、湿原植物は競争に弱く、雑草から逃れて貧栄養下で細々と子孫を残してきており、そこに、雑草が侵入すると、簡単に駆逐され、絶滅に追い込まれるのである。

ヒュウガトンポ 「原色日本のラン」より。太田洋愛画
ヒュウガトンポ
「原色日本のラン」より。太田洋愛画
 [ヒュウガトンポ]〜ラン科〜
 本種も野村剛氏によって川南の湿原で発見されたものである。故東京大学前川文夫博士は本種の研究をし、「原色日本のラン」(誠文堂新光社)」に本種の図(生品を1958年8月に描く)を載せている。その解説に、「(野村が採集した)貴重な産地は開拓され絶滅した」と書いている。
 筆者も前記ヒュウガホシクサとともに周辺各地を探索したが出現しないので本種も「絶滅」と見るべきである。
 原因は解説にあるように開発と思われる。

 [ヒゲナガトンボ]〜ラン科〜
 ムカゴトンボの変種で、北郷町郷之原で吉江清朗氏により、1936年に発見された。その31年後に、故東京大学原寛博士により1977年に発表されているが、論文に他の産地は上げられていない。鹿児島県紫尾山での土井氏の記録があるが、標本がないので不明である。従って、1936年以来、確認されていないので絶滅したものと考えられる。
 原因ははっきりしない。

 [ヒユウガシケシダ]〜オシダ科〜
 1975年5月31日、小林市永久井野の国有林の小さな渓流沿いの湿地で筆者が発見したシケシダ属の新種である。同属のシケシダ類は根茎が這っているが、本種は根茎が塊状になり、日本産の同類中では全く異質の形態的特徴を持っている。命名者の愛知教育大学の芹沢俊介博士によると、外国では、スリランカに同様の形質を持ったものがあり、日本での本種の存在は学術的に貴重なものとなる。
 さっそく、営林署にその旨を伝え、保護されるように申し出たところ、快く引き受けられ、生育する小渓流一帯の伐採をしないことになった。貴重な種がこれで永久に残されることになり、当局には心から感謝の気持ちでいっぱいであった。
ヒユウガシケシダ
ヒユウガシケシダ
 その翌年、本種の新分布地発見を期待し、類似環境はことごとく注意してきた。その精あって、隣のえびの市の谷に小さな株1株(標本用に採集。本種は根茎がないと同定できないので、標本採集には、根茎ごと採らざるを得ない。)と、高千穂町の小さな谷に2株(1株は標本へ)を確認することができた。
 1986年12月、本種の命名者である芹沢博士と原標本産地の自生状態の写真を撮るため。11年ぶりに永久井野の国有林を再訪した。到着し、二人は愕然とした。現地は小渓流の跡形さえもなく、全く見事に伐採されていた。群落を作っていた自生地は、無残にも切り株や枝の残骸が散らばり、ヒユウガシケシダの貴重な原標本産地は消えてしまったのである。
 営林署の事務引き継ぎができていなかったのか、その後の責任者の考えが変わったのか、今更勘繰ったって仕方のないことである。残るは高千穂町の1株だけである。清流の湿地に生え、乾燥や富栄養に無防備な、そんな弱いヒュウガシケシダのこと、他の植物の競争に負けたか、ひょっとすると、意外に人里近くだったので開発で絶滅した可能性が強い。
 原因は、森林伐採によるものと考えられる。

 [ヒュウガオオクジャク]〜オシダ科〜
ヒュウガオオクジャク
ヒュウガオオクジャク
(1970年写す)
 1969年8月、現宮崎南高校教諭室屋瀧雄氏と二人で椎葉村財木を採集していた折り、林道脇の小さな凹地に大型のオオクジャクシダ近似種が出現した。九州にはないオシダとオオクジャクシダの中間形をしており、東京大学倉田博士に同定していただいたところ、ヒユウガオオクジャクと命名され新種であろうとい
うことだった。採集した標本が少なく、変異の幅などについて、いま少し研究の必要があった。しかし、倉田博士の突然の死去により、本種は正式発表されず、今日にいたっている。
 いずれにしろ、標本の再採集が必要である。室屋氏は、その後、単独で現地を再訪したが、自生地を見つけることはできなかったらしく、林道の様子が違っていたのか、不思議だとの連絡を受けた。その後、愛知教育大の芹沢博士が関心をもたれ、1981年8月、筆者も12年ぶりに同博士と現地調査に出かけた。結果は室屋氏と同じであった。どうも、林道が整備され、自生地は埋められたのであろう。結局、東大に1枚、室屋氏が1枚、筆者の手元に1枚が標本としてのみ残る、幻のシダとなってしまった。
 原因は、道路工事による開発と考えられる。

(2) 宮崎から消えた植物たち

 日本の絶滅危惧種あるいは学術上貴重な植物で宮崎県から消えた植物には、9種がある。

 [アサザ]〜ミツガシワ科〜
アサザ(「日本の野生植物III」より)
アサザ
(「日本の野生植物III」より)
 1989年7月、植物社会学を研究している現宮崎県立盲学校教諭河野耕三氏は絶滅危惧種であり、それまで宮崎県では未確認のアサザを、新富町の一ツ瀬川で発見した。花は黄色で目立ち、葉はスイレンのように水面に浮いた姿は水草の中の女王といえる植物である。
 翌、1992年12月に河野氏からの情報をもとに現地を訪ねた。ノイバラ群落に引っ掻き傷をつくり、ようやく自生地にたどり着き、初めて見るアサザに感動した。しかし、花がないので写真も撮らずじまいだったので、今年こそと、花期の7月に撮影にでかけた。一ツ瀬川河川敷にゴルフ揚が新設されたことはニュースで知っていたので、ゴルフ場を横切れば難無く自生地に行け、労せず撮影できるはずであった。ところが、自生地の水面はホティアオイとヒシにびっしりと被われ、待望のアサザの姿はそこになかった。
 自生地は水の澄んだ小さな入江で、オオカナダモの侵入はあったものの、アサザが優占、セキショウモ・イトモ・サンカクイが混生し、水辺にはタコノアシまで生え、一級の水生植物群落であった。農薬を使用しないということなので、群落は存続できると思っていたが、全く予想していなかった落し穴があったのである。それは、芝生への施肥であり、肥料が入江に流入していたのである。富栄養化により、ヒシが勢いを増し、おまけにホテイアオイまでが侵入し、弱いアサザは駆逐されてしまったのである。
 原因は、ゴルフ場建設にともなう開発と考えられる。

 [チョウジソウ・ヒンジモ・デンジソウ]
デンジソウ
デンジソウ
 キョウチクトウ科の絶滅危惧種であるチョウジソウは九州には自生が少なく、福岡・大分県に各1ケ所あるだけの貴重植物である。宮崎県にも日向市美々津駅脇の湿地に、筆者が植物の研究を始める前の昭和30年代には自生していたようである。ところが、ブロイラー工場が建設されるために埋め立てられてしまった。
 ウキクサ科のヒンジモは「九州にはない」と図鑑に記載されている植物である。ところが、1978年7月、高原町の湧水場の水路に自生を確認することができた。おまけに、紅藻類のチスジノリ(?)も生育していた。翌年、そこに養魚揚ができ、水路はコンクリートで固められ見事に整備され、両者とも絶滅してしまった。
 水生シダ類のデンジソウは絶滅危惧種で、宮崎には唯一ケ所門川町の小川に自生地があった。そこも、今は立派に整備され、コンクリート製の水路となり、デンジソウは宮崎県から消えてしまった。
 原因は、埋立や改修工事と考えられる。

 [アツイタ]〜オシダ科〜
 絶滅危惧種で、屋久島や四国にはまだ見られるという。宮崎県にも唯一ケ所自生地があった。西都市三財寒川渓谷で、発見は九州のシダ植物研究のパイオニアである、元宮崎県立博物館学芸員の滝一郎氏である。
 しかし、唯一の自生地も、ダム建設により埋没し、絶滅した。

ヒゴタイ
ヒゴタイ
 [ヒゴタイ]〜キク科〜
 数年前には、阿蘇・九重山麓には普通に見られる植物であったが、最近は激滅しているという。
 西諸・小林・北諸・都城方面では昔からお盆の供花はヒゴタイが一番とされ、地元の草原でまかなってきたようである。従って、昔は霧島山麓にも自生地は多かったと考えられる。特に都城市西岳町には多かったと、地元の方に教えていただいた。
 筆者も1972年代前半には同地で確認している。ところが、1982年代に入ってからは、いくら捜しても確認できずじまいである。宮崎県からは消えてしまったと考えられる。
 原因は二つある。一つは採集。もう一つは草原の放置である。後者については、後述したい。

 [ムラサキ]〜ムラサキ科〜
 昔より染料として利用されてきた野草である。昔は日本各地に自生していたようであるが、今は、全国的に激減し、絶滅危惧種となっている。
 宮崎県には、霧島山麓に数ケ所自生の記録があったが、1972年以後は高原町後川内の霞神社上の草原の自生が唯一となっていた。その草原にはタカサゴソウ(宮崎県で唯一の産地)も生育していた。時折、参拝に行く機会があり、その時は必ず両植物の健在な姿を見るのを楽しみにしていた。1982年に入ってからはついに姿を見ることができなくなった。
 原因は、草原の放置である。

 [スジヌマハリイ]〜カヤツリグサ科〜
 高鍋町松本には、湿田が多く、湿生植物に面白いものがいくつかみられる。1981年5月、その中に、それまで宮崎県では未確認のスジヌマハリイを発見した。
 本種の分布は少なく、九州では福岡と鹿児島に僅かに自生地があるだけで、全国にも13県しか生育が確認されていない。22県のうち、7県で絶滅・絶滅寸前・現状不明となっている。高鍋町のものも1984年以来、姿を消している。
 原因は、湿田の放置により、次第に高茎の水田雑草が侵入し、駆逐されたものと考えられる。

(3) 宮崎県からも消えていく絶滅危惧種

 日本の絶滅危惧種のなかで宮崎県においても危険なものは22種を超える。それら以外にも学術的に貴重な種の中で、消えようとしているものがいくつかある。それらの中のいくつかを原因別に取り上げてみたい。

 A. 園芸目的による乱獲が原因となっているもの
 [オナガカンアオイ】〜ウマノスズクサ科〜
 1972年5月、日向市の一角で発見した宮崎県特産のカンアオイで、日本にある約60種の仲間の中でも特異な形態を持っている。すなわち、花弁状にみえる蕚片の先が他のカンアオイ類は2センチそこそこなのに、本種の場合は22センチ近くにまで伸び、名前の由来もそこからきている。
 ところで、今年は大阪の花と緑の博覧会が開催され、それに関連して、朝日新聞社が「滅びる生命〜植物はいま自然破壊」という記事を載せるというので、22年ぶりに記者と一緒に発見地を再訪した。発見当時は至る所に生え、ちょっとした谷に入ると何百株もあったのが、何キロ捜し歩いたことか、ようやく5株に会えただけだった。近くの住民によると「4、5年前に他県の車がよく来ていた。採りにきたと分かっても。規制がないので注意しようがなかった」という。
 その後、日向市から延岡市にかけ、次々にあたらしく自生地が発見されてきたが、すぐに荒らされ、何万という株が現地から持ち去られている。
 今、山野草はカンアオイブーム。そのブームに火をつけたのがどうやらオナガカンアオイらしく、発見を後悔している。金儲けのため乱獲する悪徳業者まで出ており、このままではカンアオイ類が山野から姿を消すのは時間の問題であろうか。
宮崎県には、他にもミヤザキカンアオイ、トイミサキカンアオイ(いずれも正式発表されていない)が特産種として生育しているが、どちらも自生地から姿を消しているとの情報を聞いている。

朝日新聞で紹介された「オナガカンアオイ」
朝日新聞で紹介された「オナガカンアオイ」

 [サギソウ]〜ラン科〜
サギソウ
サギソウ
 川南町には天然記念物の湿原があるが、それとは別の所に、一級の湿原を発見してもう12年以上になる。発見当時は春にはトキソウが、夏にはサギソウが咲き乱れていた。今、トキソウは1本もないし、サギソウも激減した。
 1989年6月1日にNHKがニュース・ツデーで18分に及ぶ野生植物の危機に関する報告を組まれたが、報告の中に川南のサギソウを取り上げていただいた。現地に取材班を案内した日、まだいくらか残っていた。近くの住民は「サギソウを1杯いれたイワシ箱を何杯も運び出すのをみた。自分の所有でないので何の注意もできません」という。何万とあったサギソウの群落も、もう数える程になってしまった。
 後日、レッドデータ・ブック委員会の大阪府立大の植田博士と湿原植物の調査で立ち寄った際は、まさにサギソウ採取中の3人の山草家にでくわした。彼等は「どうせ、無くなるのだし……」と、自分等のとっている行為を特に悪いことだと認識していない様子であった。
 法規制も無く、また所有者でもない以上、保護の重要さを説くことが、その場でできた私どもの処置であった。

 [ハナゼキショウ]〜ユリ科〜
ハナゼキショウ
ハナゼキショウ
 宮崎県の固有種、ミヤマゼキショウの仲間である。九州には佐賀県に1ケ所と宮崎県の山地にしかない、分布稀な貴重植物である。これを宮崎県で発見したのは1966年だったと覚えている。滝壷周囲の岩場にびっしりと生え、見事な群落であった。その当時は山草栽培などする者もなく、対象はカンランくらいで、エビネ類でさえ山野にいくらも生えていた時代である。
 十数年ほど前、そろそろ山草ブームのはしりの頃、本県のある植物愛好家(今はれっきとした山草業者)に、ハナゼキショウが宮崎県に見つかったことを自生地とともにうかつにも喋ってしまった。そのことが原因になっているかどうか分からないが、今、宮崎からハナゼキショウは姿を消そうとしている。
 本県のある山草愛好家から聞いた話によると‥‥‥ある山草家のAさんが、ハナゼキショウの自生地を知り、上記の滝壷で採集したそうです。その方は採集品を入れる袋に何杯か採集し、持ち出したそうです。それだけなら良かったのですが、Aさんは生えていた残りを、小さな株までてあたりしだいに掻き取り谷川に流したということです。自分だけの所有になれば価値が高くなるという発想なのです‥‥‥ということである。信じ難いことなので、単なる噂だろうと、その時は聞き流した。
 ところが、今年12月、近くに用事があったついでに久しぶりに自生地の滝を訪ねた。噂が本当なのか確かめたいこともあった。滝壷を丹念に調べたが、あれほどあったのに、10株ほどをようやく確認できただけであった。噂は事実だったのだろうか。
 その採取者が、もし私がふと漏らした植物愛好家だったとしたら、絶滅の原因は自分になる。自生地の詳しい情報が公表され、地元の方の意識の向上から保護が推進されることが一番の保護策と考えるのは間違いなのだろうか。

 [サクラソウ]〜サクラソウ科〜
サクラソウ
サクラソウ
 いろいろな園芸品種が作られ、いまや栽培植物かと疑う程に大衆化しているサクラソウも、立派な日本在来の野生植物である。埼玉県の自生地のように、国の天然記念物となって保護されているところもあるが、自生地のある26県のうち、16県で絶滅あるいは絶滅寸前との報告がある。
 宮崎県でも1972年以前には霧島山麓をはちまき状に各地に自生地があったように記録にある。筆者も1972年代に精査したが、えびの市〜小林市〜高原町〜都城市といくつかの生育地を確認できた。特に都城市のものはお花畑を思わせるほどの大群落であった。
 しかし、その都城市の群落地も4年前の調査ではようやく2株しか確認できないほどの実情にある。まして、他の生育地は絶滅の一語につきる。

 [その他]
 他にも、ササユリ、イワザクラ、エビネ類、マクガイソウ、ウチョウラン、オキナグサ、カザグルマ、ムジナノカミソリ等、枚挙にいとまがない。特にラン科に園芸目的の乱獲により絶滅が危惧されているものが多い。

B. 放置による遷移進行が原因となっているもの
 植物は「静」であり、群落は変化しないものと思われがちなのだが、実は動的であり、激しい競争が行われ、変化しているものである。この変化を「遷移」と呼んでいる。
 植物たちは、今の環境(気温、水分、光量、地形、土質、酸性度等)に最も相性のよいものが競争に勝ち、そこに生育が許されているものである。一般に、植物群落は永い年月を経て、草原はより高茎の草原を経て低木林へ、低木林は成長の速い高木からなる陽樹林へ、陽樹林は安定期の陰樹林へと外観は遷移していく。
 例えば、前述のムラサキやヒゴタイの生える草原は、遷移途上の群落であり、そのまま自然の為すままに放置すると、やがてススキ草原から林へと移行し、陽光を必要とするムラサキやヒゴタイは光を奪われ、枯死してしまう。同じように、スジヌマハリイやヒユウガホシクサの生える湿原も、やがてススキやネザサが侵入して大型の草原となり、さらに林へ移行し、貴重な湿原は消えてしまうという自然界の掟がある。
 初夏のえびの高原をピンクに染めるミヤマキリシマ群落も遷移途上の群落であり、放置すると、やがてヤシャブシやアカマツに被われ、さらにミズナラ林へと移行していき、消滅してしまうのである。
 従って、ムラサキの生える草原、スジヌマハリイの生える湿原やミヤマキリシマの低木林はいずれも遷移途上の群落であるが、この段階に価値があり、貴重な群落として保護したければ、遷移による群落の移行を止めざるをえない。そのためには、野焼き、刈り取りや枝払いといった人為作用を施す必要がある。自然保護とは、何もせずにただ放置することだけでは良くない場合もあるのである。

 [エヒメアヤメ]〜アヤメ科〜
エヒメアヤメ
エヒメアヤメ
 霧島山麓のえびの市・小林市の丘陵地には1972年代までは到る所にエヒメアヤメの自生地があった。しかし、1982年代に入り、急速にエヒメアヤメは姿を消しつつある。
 手元の野帳を繰ってみると、1979年4月28日、西小林忠臣田の迫田の斜面草地の調査では、95%の総被植率(植物が地面を被う率)で、キスゲ・チガヤ・コバナノワレモコ・ヨツバハギ等が生育しており、その中にエヒメアヤメが「被度」3・「群度」3と記録されている。つまり、その草原の22%くらいをエヒメアヤメが占めていたということになる。ところが、ちょうど9年後の1988年4月に用事のついでに立ち寄ったが、エヒメアヤメは1本もみれなかった。その斜面には、人の背丈程の杉が整然と立ち並び、草原そのものが消えていた。
 昔から、各集落毎に共同のカヤ場(ススキ草原)が必要であった。そのカヤ場の草は牛の餌となり、ススキは牛小屋の敷き藁に、そして茅葺き屋根のふき替えに使われてきた。ところが、近年になって生活様式が一変し、耕運機が入り、労役用に牛を飼う必要はなく、屋根も瓦葺きとなり、すっかりススキの需要が無くなってしまったのである。これまで大切に維持してきたカヤ場は不要なものとなってしまったわけである。カヤ場は自然のまま放置されるとコナラやヒサカキ、シャシャンボ等の樹木が侵入してやがて林となるか、杉やクヌギの植林地になるかのどちらかの運命をたどることになったのである。
 エヒメアヤメはカヤ場の消滅と運命を共にし、次第に消えようとしているのである。従って、エヒメアヤメが生きていくためには、カヤ場の維持が不可欠であり、そのためには、年に1〜2回の刈り取りや火入れといった人為作用を施さねばならないのである。
 このままでは、エヒメアヤメは国指定天然記念物の生駒の自生地だけになってしまうのではと懸念される。

 [その他]
 遷移進行により種の絶滅が心配なものには、ハナカズラ・ノカラマツ・ムラサキセンブリ・サクラスミレ・キスミレやシロバナナガバノイシモチソウ・イヌセンブリ・ホシクサ類など草原や湿原植物に数多い。

C. 森林伐採が原因となっているもの
 森林は、植物にとって最も安定した生活環境であり、それだけに多くの種が共存している。その森林で、高木層が伐り倒されてしまうと、下生えの陰湿な環境に育つ植物も、樹幹についていた着生植物も、その生活場所を失い、消えてしまうのである。
 このようにして、種が絶滅に追い込まれている植物は多い。

 [シシンラン]〜イワタバコ科〜
シシソラン
シシソラン
 暖地の照葉樹林の樹幹に着生する小さな木本植物で、奈良県では、天然記念物指定を受けている。
 花がピンクで美しいので園芸用に採取されたり、南九州では特別天然記念物ゴイシツバメシジミの食草のためチョウマニアにより乱獲されている。しかし、本種を危機に追い込んでいるのはやはり大規模な伐採であろう。
 1972年代までは、日南・南那珂の山地、えびの・小林・須木の北部山地や国富・綾奥および高岡・田野の奥には照葉樹林が多く、本種をみることは容易であった。今は、これらの山地から天然の照葉樹林はスギの植林地と化し、それにともないシシンランは激減してしまった。

 [幻のイワヘゴ新雑種]〜オシダ科〜
ワカナシダとツクシオオクジャクの雑種
ワカナシダとツクシオオクジャクの雑種
 えびの市の霧島山麓に、イワヘゴ類がひとそろい揃っているアカマツ林があった。イワヘゴ類は種類が豊富で、特に宮崎県はイワヘゴ類の日本一の宝庫としてシダ研究家に知られている。
 1976年、そのイワヘゴ群落の中に、ワカナシダとツクシオオクジャクの雑種と思える1株を発見した。両者のかけ合わせは学問的にみて考え難いものであり、これらの生植のしくみの研究に一石を投じたものであった。
 1987年、東京農業大学の宮本太博士がその研究をはじめられ、現地を探索されたとの情報があった。しかし、そのアカマツ林をも捜し得なかったという。筆者も1989年に立ち寄る機会を得た。結論はアカマツ林の伐採であった。もともと、植林地であり、伐ることにやぶさかではないが、その林の学術的価値を所有者に伝えておけばこんなことにならなかったのかもしれない。
 この、世界に1株の珍シダは、名前ももらわずに消え、もはや幻のシダとなってしまった。

 [その他]
 前述のシシンラン同様に、照葉樹林の樹幹に着生する植物は多い。シダ類のヒモラン・スギラン・ラン科のフウラン・ナゴラン・ユキノシタ科のヤシャビシャクなどがその例である。
ヤシャビシャク
ヤシャビシャク
 平凡社が好評の図鑑「日本の野生植物」シリーズにシダ編を加えるということで、プロの植物写真家が目下、日本各地で撮影中である。宮崎県でしか撮れないシダがいくつかあるため、懇意にしている写真家の鈴木氏をこの秋に案内した。ついでにヒモランとスギランを撮影したいと言われるので、それらしき所を訪ねたがついに果たせずに終わっている。その後、他の県で目的を達成できたかどうか聞いていないが、以前ならこんなシダはすぐにでも見つけ出せるものであった。
 いつの間にか、絶滅危惧種になってしまったのである。

D. 水質汚濁

 [アカウキクサ]
アカウキクサ
アカウキクサ
 ひと昔、夏の田んぼの水面を、赤紫に被っている浮き草に覚えのある方は、中年以上の方に多いことと思う。あれは水生のシダ植物でアカウキクサという。どこにでも普通にあった、田んぼの雑草であった。
 現在、アカウキクサはどこでみられるのか。宮崎県での最近の記録は5年ほど前の佐土原町の養魚池跡くらいであろう。そこも今は消えている。
 残っているとしたら、無農薬栽培の山地の湿田だけであろう。ひょっとすると、宮崎県からは消えてしまったかもしれない。原因は、人手で除草していた頃は豊富だったことから、除草剤と考えられる。
 アカウキクサと同じ運命をたどっているものに、スブタ類(スブタ・ヤナギスブタ・ミカワスブタ)やマルバノサワトウガラシ等がある。

 [オニバス]〜スイレン科〜
オニバス
オニバス
 22年ほど前になろうか、宮崎県高等学校理科教育研究会生物部会の野外研修が生目の倉瀬池で実施された。故宮崎大学教授平田正一先生が宮崎のフロラの研究に、水草が穴になっているということで。部会に協力を要請されたために計画されたものであった。
 当時の倉瀬池は、今にしてみると超一級の水草生育地であった。オニバス、ガガブタ、ホソバミスヒキモ、ノタヌキモやジュンサイが所狭しと生い茂っていた。1973年7月、「日本の野生植物」のオニバスの写真撮影のため、植物写真家の富成忠夫氏を倉瀬池に案内したが、その時もそれらの水草は健在(その写真が同書籍に掲載されている)であった。それ以来倉瀬池を訪ねることはなかった。
 17年後の1989年9月、水草の調査の必要性を感じ、倉瀬池を久しぶりに再訪した。驚くなかれ、水は濁り、堰堤はコンクリートで固められ、ハスが密生しており、オニバス等の水草はなく、ノタヌキモが当時の面影を残しているだけであった。
 現在、宮崎県でオニバスとジュンサイが混生している池はなく、22年前の倉瀬池は天然記念物ランクの貴重なものであった。わずか22年の時の流れでこうも変貌するものかと、ただ驚きいるばかりである。
 池の周囲には、畑とミカン園が広がり、そこへ施肥した肥料が池に流入して、富栄養化したこと、及びハスの移植が原因と考えられる。
 オニパスは全国的に危険な状態にあり、その保護が重要課題となっている。日本では29県に自生地があり、そのうち21県で、絶滅、絶滅寸前、現状不明あるいは危険としている。幸いなことに、宮崎県には現在15ケ所の自生が確認されており、国内では多いほうである。
 しかし、天然記念物指定を受けている木城町岩淵池のオニバス自生地ではガガブタは消え、オニバスも今年は5〜6株が出現しているだけである。ここも、このままでは倉瀬池と同じ運命をたどることになろう。今、早急な対策が必要である。

図3-(イ) オニバスの生育地の現状

図3-(ロ) オニバスの生育地の現状

 [その他の水草]
 宮崎県には921個の溜池があり、昨年9月以来、その水草を調査してきた。その結果多くの知見を得ることができた。
ガガブタ
ガガブタ
 水草は環境汚染の影響を受け易く、全国的にみて、オニバスをはじめ、絶滅が危惧されているものが多い。そのうち、宮崎県に自生しているもの、あるいは過去に自生していたものを合わせると20種を超える。アサザ、アカウキクサ、デンジソウ、ヒンジモは前述したように、既に宮崎県から消えた。カワツルモとサガミトリゲモは佐土原町の一ツ瀬川河口付近に唯一の生育地があったが、今年の調査では確認できていないので、恐らくこれも宮崎県では絶滅した
と思われる。シナミズニラ(5ケ所)、オグラコウホネ(2ケ所)、ヒメコウホネ(2ケ所)、ジュンサイ(5ケ所)、ガガブタ(12ヶ所)、ヒメシロアサザ(6ヶ所)、ミズスギナ(6ヶ所)、ミカワタヌキモ(6ヶ所)、オグラノフサモ(5ケ所)は幸い健在である。しかし、これらの水草の殆どは、宮崎市周辺(西都・高岡・清武・佐土原・宮崎市)に限られており、もっとも開発の危険性の高い地域であることを考えると安心できない。

E. 海岸砂浜の消滅
 [グンパイヒルガオ]〜ヒルガオ科〜

 高鍋町の堀の内の海岸に北限のグンパイヒルガオの群生地があった。海岸線に沿って222mにわたり繁茂していた。7年前、ケンブリッジ大のランダール博士が宮崎県の礫海岸の植生調査にこられた際に案内し、見ていただいたところ、非常に感激された代物である。
 ところが、昨年の調査では汀線が後退し、そこは完全に波に洗われ、グンパイヒルガオの北限自生地は消滅していた。

グンパイヒルガオ グンパイヒルガオの植生調査

グンパイヒルガオ

 [ハマナツメ]〜クロウメモドキ科〜
ハマナツメ
ハマナツメ
 東海道以南の海岸入江に生育する特殊な植物である。宮崎県には延岡市・日向市・串間市にわずかに自生地があり、いずれも重要植物群落地となっている。
 1968年、都農町心見川河口の入江にハマナツメの群生地を発見した。東都農駅のちょうど裏手の海岸になり、その入江は地元の人には水泳やシジミ取りの場所として昔から親しまれてきたところである。5万分の1地形図にも砂嘴が伸びてできた入江が描かれている。
 ところが、前記のケンブリッジ大のランダール博士を案内した時はその入江は消えていた。ミステリックな話だが事実である。従ってその入江に群生していたハマナツメは勿論、ヒトモトススキも消滅してしまった。
 グンパイヒルガオとハマナツメの自生地が波に洗われ、消えた原因はよく分からない。自然災害なのか、他に沿岸流を変えるような人為的な原因があるのか、確かめておかないと、宮崎県の砂礫海岸の存亡にかかわることである。ただ、東都農の入江の場合は、礫海岸で、当時は近くの心見川の河口でその礫を採取していたようであり、採取により礫が移動したことも考えられる。

 (参考文献)
前川文夫「原色日本のラン」:誠文堂新光社(1971)
佐竹義輔「日本の野生植物・草本・」:平凡社(1982)
初島住彦「改訂鹿児島県植物目録」:鹿児島植物同好会 (1986)
 我が国における保護上重要な植物種及び群落に関する研究委員会種分料会編「我が国における保護上重要な植物種の現状(レッドデータブック)」:(財)日本自然保護協会(1989)
 南谷忠志 「宮崎県における溜池の水生植物(1)」:宮高理会誌(1992)
 岩槻邦男 「日本絶滅危惧植物」:海鳴社(1992)

掲載号:みやざきの自然 4号 '91-4

制作:2004.12.18
修正:2005.05.16